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おじいちゃん人形

2023

​ミクストメディア

ステートメント

この作品は、祖父の不在によって生じた「欠落」を、新しい物語を生み出すための「空間」として捉える試みだ。

この等身大の人形は、50年前に祖父母が離婚して以来音信不通となった、カリフォルニアに住んでいたアメリカ人の祖父の92歳の現在を想像して制作したものだ。

私は日本で育ったが、見た目を理由に「外国人みたい」と揶揄されて育った。そしてその度に、会ったことのない祖父の存在を強く意識した。アメリカのルーツに触れられないことは、私にとって「欠如」として感じられていた。

祖母への聞き取りや古い写真をもとに、もし彼が生きているなら現在92歳であるはずの祖父の姿を予測しながら、可動性の骨組みに粘土などで肉付けして制作した。制作の過程で、自分の眉毛や髪が祖父に似ていることに気づき、私の毛髪を素材として用いたり、手相を転写して皮膚を表現した。また、写真で確認できない顔の造形は父の顔を参考にした。

こうして完成した「おじいちゃん人形」は、家族の身体や記憶の中に含有されるおじいちゃんの成分を寄せ集めて作るブリコラージュである。

私は以前祖父の不在を「欠落」と感じていたが、この作品の制作は、結果的に祖父の 不在を、新たな物語を紡ぐことを許す「空間」と捉えることとなった。 私が作ったのは祖父そのものではない。祖父を媒介として始まった新たなナラティブである。

作品解説

鈴木紅璃は縫合プロジェクトにおいて一貫して「アートで過去に向き合う技術」を探求している。本作「16歳の私の能面」では、トラウマに向き合う方法として「過去の自分を再演する」のではなく「過去の自分に現在の自分を演じさせる」ことを試みた。

 

このアイディアの元となったのは、日本の伝統的な舞台芸術「能」の理論だ。多くの能では、苦しみの記憶を抱えた霊的存在が演者の身体を借り自身の過去を語る。この時演者は、異なる時間の感情を受け止める「器」として面を装着するのだ。

 ここで重要なのは、能楽堂は舞台装置による過去の情景の再現をしない点だ。明るい照明の中では隣の観客の顔も見えてしまうし、「ここはあくまで現代の現実世界である」ことを忘れさせてくれない。能は観客を過去に連れ去りはしない。つまり、能のキャラクターは時を超えて向こうからこちらにやってくる。そして、舞台と楽屋を仕切るお幕の向こうへと人物が姿を消す瞬間、観客の想像力も自然と向こうの世界へと向けられる。

 鈴木はこうした能の形式を参照しつつも、東京芸術大学の近隣の「アメ横」や鈴木の地元の遊園地といった鈴木が現在進行形で楽しい日々を送っている場所で「16歳の私の能面」を装着し、19歳の私として日常の振る舞いをした。

 現在を舞台とし現在を演じる。この時、16歳の頃の泣き顔を刻み込んだ木彫面だけが改変できぬ過去を象徴している。しかし、角度によって表情がわずかに明るく変化するよう意図して彫刻されたこの面は、映像内において過去の固定性と現在の可変性の共存を示唆する。

 本作は鈴木紅璃のごく個人的な経験を出発点としながらも、視覚表現として展示することにより過去との新たな向き合い方を提案する実践である。

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