Akari Suzuki




縫合プロジェクト「16歳の私の能面」
制作年 2024〜
メディア 木彫面、映像
ステートメント
”16歳の時、犯罪被害によって重いトラウマを負った。一人で泣く度に、衝動的に泣き顔を自撮りした。19歳になった。行きたかった大学に合格し、かつての苦しみの原因とも縁が切れ、私は今幸せだ。しかし、現在の自分が前に進むほど、重い痛みの記憶と結びついた16歳の自分がひとりぼっちで置き去りになる感覚を抱いた。
だから私は、16歳の泣き顔の自撮りをもとに能面を制作した。そして、能面をつけた状態で、楽しい遊びをたくさんしてみた。過去の私が現在の私の身体を借りて、「今」を楽しんだ。
最初、この能面の表情は辛い過去の象徴だった。しかし能面をつけて遊んだ後に改めてこの能面の表情を見てみると、なんだか、少し笑っているようにも見えないだろうか。”
作品解説
鈴木紅璃は縫合プロジェクトにおいて一貫して「アートで過去に向き合う技術」を探求している。本作「16歳の私の能面」では、トラウマに向き合う方法として「過去の自分を再演する」のではなく「過去の自分に現在の自分を演じさせる」ことを試みた。
このアイディアの元となったのは、日本の伝統的な舞台芸術「能」の理論だ。多くの能では、苦しみの記憶を抱えた霊的存在が演者の身体を借り自身の過去を語る。この時演者は、異なる時間の感情を受け止める「器」として面を装着するのだ。
ここで重要なのは、能楽堂は舞台装置による過去の情景の再現をしない点だ。明るい照明の中では隣の観客の顔も見えてしまうし、「ここはあくまで現代の現実世界である」ことを忘れさせてくれない。能は観客を過去に連れ去りはしない。つまり、能のキャラクターは時を超えて向こうからこちらにやってくる。そして、舞台と楽屋を仕切るお幕の向こうへと人物が姿を消す瞬間、観客の想像力も自然と向こうの世界へと向けられる。
鈴木はこうした能の形式を参照しつつも、東京芸術大学の近隣の「アメ横」や鈴木の地元の遊園地といった鈴木が現在進行形で楽しい日々を送っている場所で「16歳の私の能面」を装着し、19歳の私として日常の振る舞いをした。
現在を舞台とし現在を演じる。この時、16歳の頃の泣き顔を刻み込んだ木彫面だけが改変できぬ過去を象徴している。しかし、角度によって表情がわずかに明るく変化するよう意図して彫刻されたこの面は、映像内において過去の固定性と現在の可変性の共存を示唆する。
本作は鈴木紅璃のごく個人的な経験を出発点としながらも、視覚表現として展示することにより過去との新たな向き合い方を提案する実践である。
